柿澤勇人 さんと言えば、ミュージカル『ライオンキング』の“未来の王”シンバ役を演じた経歴が有名ですよね(^-^*)
その実力は、あの三谷幸喜監督が「僕のシャーロック・ホームズがここにいる!」と『愛と哀しみのシャーロック・ホームズ』(2019)の主役シャーロック・ホームズ役に指名したり、
NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(2022)では、主役ではありませんが、「僕が思い描いていた実朝がここにいました!」とまたしても悲劇の将軍・源実朝役に抜擢するほど!
三谷 幸喜
Source: Wikipedia
みたに こうき
1961年〈昭和36年〉7月8日生まれ
日本の劇作家、脚本家、演出家、映画監督
劇団「東京サンシャインボーイズ」主宰。シス・カンパニー所属。
小学生の頃はチャールズ・チャップリンのファンで、スイスにあった自宅前までチャップリンに会いに行ったことがある。対面は叶わなかったが、似顔絵を秘書に手渡したところ、1か月後にサイン付きで返送されてきたという。
気に入った役者・信頼できる役者・自身が影響された役者を何度も起用する傾向が顕著な三谷幸喜監督。
そんな彼に「僕の〇〇が~…」と言わしめ、世界的に大ヒットしたディズニーアニメーションが原作のミュージカル『ライオンキング』の主役も演じた経験がある 柿澤勇人 さんはどんな経歴の持ち主なのか、気になったので調べてみました!
みなさん一緒に見て行きましょう~!(^^♪
柿澤勇人 さんのプロフィール
本名:柿澤勇人(かきざわ はやと)
生年月日:1987年10月12日
年齢:35歳(2022年11月現在)
出身地:神奈川県
身長:175cm
血液型:B型
職業:俳優
ジャンル:ミュージカル、舞台、テレビドラマ、映画
趣味・特技:サッカー、ピアノ、英語(日常会話)、温泉巡り
人生に影響を与えた本:『中田語録』(文藝春秋)…中田英寿の発言切り抜き本
柿澤さんのひいおじいさまとお祖父さまは重要無形文化財保持者(人間国宝)。
柿澤勇人 さんの “シンバ” への想い
![httpswww.disney.co_.jpmovielionking2019about.html - Emz Lab ミーアキャット、ライオンの子供、イノシシ](https://emz-lab.com/wp-content/uploads/2022/11/httpswww.disney.co_.jpmovielionking2019about.html-300x172.jpg)
柿澤さんの少年時代はサッカー一色!でした。
サッカーの名門高校の保健体育科に一般入試で入学し、サッカー部に所属。
将来はプロサッカー選手を目指していました。
プロフィールにある『中田語録』という中田選手の発言をまとめた本を何度も何度も読み返し、中田選手の人間としての生き方を尊敬されているそうです。
そして、柿澤勇人さんが高校1年生の時に観た劇団四季のミュージカル『ライオンキング』をきっかけに、「シンバをやりたい!」と劇団四季への入団を志し、舞台芸術学院の夜間部に入学し高校に通いながらミュージカルを学ぶ日々。
その熱意、素晴らしい👏
ただ。
柿澤勇人さんがそのように自分の夢に向かって努力を続けている中、ご家族は猛反対!
柿澤さんのひいおじいさまは浄瑠璃の語り手、お祖父さまは三味線奏者でともに人間国宝。
芸の厳しさをよーーーーくご存知のご家族は、「サッカーで日本代表になって活躍するよりも難しい!」と反対されたそうです。
そこで柿澤勇人さんはご家族を、2年間だけ時間が欲しい、それでダメなら諦める、と説得し約束。
本当にしっかりしたお子さんだったんですね。
ここまででも、言うことなすこと大人みたいではないですか??
その時の柿澤さんには「大丈夫、やれる!」という根拠ない自信があったそうですw
そういう場合はたいてい上手くやれるんですよねw
「よくわからないけど、なんとなく出来そうな気がするな…」とか思ってると大概出来るw 私もそう。
これも一種の、最近世間でよく言われている、《引き寄せの法則》というものなのでしょうか??
その後、柿澤さんの努力のかいあって、2007年、倍率100倍以上の難関を突破して劇団四季の研究所に入所することができました。
この研究所というのは、劇団四季の一歩手前。
この研究所に入るのにもオーディションがあり、合格した人は1年間劇団四季研究所の生徒としていろんなレッスンを受けます。
毎日、朝からバレエや歌のレッスンを受けて、夕方いったん帰宅してご飯を食べて仮眠。
そしてまた夜遅くに稽古場にいって、その日に出来なかった部分を自習する。
「やっぱり“下手くそ”と言われっぱなしは悔しいし、時々技能試験が抜き打ち的にあって、そこで落ちたら本当に終わりなので……。でも、出来なかったことが出来てくると嬉しいですし、だんだんのめりこんでいきました」(Source: All About)
そして、1年のレッスン終了後に卒業試験があり、それに合格すると晴れて劇団四季のメンバーになることが出来るそうです。
柿澤勇人さんは劇団四季研究所に入所した1年後の2008年に、念願の『ライオンキング』のシンバ役を射止めました!
実は柿澤勇人さんは研究所に入所して一年が経つ頃、一人でこっそりと『ライオンキング』の練習をしていたんだそうです。
それを知った演出家に声をかけられ、実技を披露したところ、
「いけるな!明日出ろ!」
と言われてw
柿澤勇人さんは本当に翌日シンバ役で舞台に立ったそうです。
でも、何も準備出来ていないし、緊張して声も震えて…
当然十分な演技は出来ず1度きりの出演となりました。
劇団四季では突然役を与え、出来が悪いと一日で降板ということはよくあることだそうです。
「シンバを演じる為の努力」を惜しまず、ちゃんと結果を出せたことの喜び。
ひいおじいさまとお祖父さまが説いてくれた芸事の厳しさの現実&くやしさ。
この両方が身に染みてご本人も納得出来たんじゃないかな。柿澤さんだから。
その結果、また物凄く頑張られたのでしょう、
翌年2009年の新作ミュージカル『春のめざめ』では主役・メルヒオール役に抜擢されます!
偉い!!!
『春のめざめ』では開幕以来、全公演に出演されて、途中で膝を痛め別の方と交代されましたが、その次の週には復帰して千秋楽までの舞台を務め上げました!
劇の主役を取って頑張っていらっしゃいましたが、その年末に劇団四季を退団。
「大学に戻って勉強するなら今だ」「芝居そのものをもう一度勉強し直したい」と考られてのことだったそうです。
それからは、ミュージカルに限らず、ストレートプレイや映像作品にも積極的に参加されています。
ストレートプレイ
歌やダンスが入らない、台詞や演技による俳優の掛け合いでストーリーが展開する一般的な劇。
正劇。一般劇。
柿澤勇人 さん テレビドラマや映画でのお芝居にも挑戦
その後、2011年からホリプロに所属し、
テレビドラマ初出演は、日本テレビ系『ピースボート – Piece Vote -』。
映画初出演は、『カイジ2』。
2013年に首都大学東京を卒業。
劇団四季退団後も様々な作品に出演されている柿澤勇人さん。
その中でも柿澤さんの転機になった作品は、『海辺のカフカ』だったそうです。
柿澤さん念願のストレートプレイ。
これが、彼の人生観や役者観がかなり変わったターニングポイント。
屈折されたそうです。
「そんな通る声で台詞喋って。俺たちは人生を反映して見せるんだ。きれいごとじゃすまないんだ!」
と毎日ボコボコに言われ、40度の熱まで出たそうです。
台詞だけではなく、姿勢も何もかも。
立つ時は「屈折した奴ならどっちかに重心をかけるだろう」とか
細かいところまで見て注意してもらったそうです。
丸裸にされて「お前のすべてが悪い!」と毎日言われるのはきつかったけど
柿澤さん曰く、あの時のおかげで「今の自分があると思うし、より芝居にのめり込むことが出来た」。
まとめ
柿澤勇人さんは芸を極めたひいおじいさまとお祖父さまがいらっしゃるご家庭で育ちました。
芸事の大先輩ですね。
そして、柿澤さんが甘やかされて育ったような情報は私はみつけられませんでした。
柿澤さんは、一般の人と同じように…というより、多くの一般の人以上の苦労をされて念願の俳優になられたんですね。
柿澤さんの舞台を見たいと思うのですが、岡山公演は…ないですよね……
東京や大阪に柿澤さんの舞台を見に行けるまで、ドラマや映画で拝見しようと思います。
「歳を取ってからのホームズも書いてもらうことが目標」
応援します!!!
それではみなさん、今日も最後までお読みいただきありがとうございました!(^^♪
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